甘牧→康定→成都
そろそろお家へ帰ろうかな~🎶
ということでハイ、そうと決まれば早速移動。
甘牧では結局ダラダラしすぎて有名な観光名所には行くことができなかったけれど、それでもチベットの雰囲気は味わえたし、色々な方と話もできたしヨシとしよう。
まずは東チベットの入り口である康定へ移動。
ここ、前回の滞在では宿の近くしか見ていなかったので分からなかったが、少し町を歩いてみるととんでもない町だった。
両側に険しい山が立ち並びその間を川が流れている。
その川の流れに沿って町が形成されているまさに『谷町』なのだが夜になると山が一斉にライトアップ。キラキラキラ。
めっちゃキレイ。。
⇩動画の02:00頃~康定の夜の街並み
チベットの文化を残そうとしている方にしてみれば、けしからん事かもしれないが俺はどんなに素晴らしいモノでも無くなる時には無くなるし、それを無理やり残す事の方が不自然なんじゃないのかなぁと思う。いつまであるか分からないからこそ、より一層美しいのではないか。散ってゆく花のように。もちろん全てがその限りではないが。
しかし町を挙げて本気で観光客の獲得を目指している本気度はひしひしと伝わってきた。2~3年後はここも大理のような一大観光地になっているのかもしれない。。
そして市場で松茸ゲット!!ん~いい香り!
新聞紙にくるみ大切に保管し、日本へ持って帰る事に。
翌朝、成都着。そしてこの旅最後のミッションがはじまる。
理塘から甘牧へ
前回の高山病事件から一夜明け
俺はリタンサマーゲストハウスに移った。
そこで高山病の薬を飲むと嘘のように頭痛が消えた。
元気になると急に出歩きたくなり理塘の町へ繰り出した。
非常に単純です私、ハイ自覚しております。
町を散策しゲストハウスで恒例のライブも済ませると、もうお腹いっぱいという感じで翌朝に甘牧(ガンズ)という町を目指す事にした。
朝早かったせいでかなり眠たかったが幸運にも一番乗りだったため8人乗りバンの助手席に座る事ができた。これは快適。くっくっくっ、なんてツイているんだ!
道中かなりの悪路だったがぐっすりと眠る事が出来た。
しばらくすると
トントントン!何?ご飯休憩?いらないよ。寝てるから。
ドンドンドン(なにやら中国語でまくしたててくる)
どうやらここは中継地点で車を乗り換えろと言っている。
仕方ないから移動すると。。。
俺に用意された座席は最後尾の端で、さらに後ろの隙間には荷物がこれでもかというぐらいに積み込まれていたため、背もたれが角度で言えば約70度、強制的に前かがみならなければならなくて、さらに足元は激せまで無理やり足をねじ込まなければならなかった。
言葉が通じないため、あと何時間で目的地に着くかも分からないまま車は無情にも走り出した。5分も走ると先程にもまして悪路。高山病は治ったがまたもや全身痛。もはや拷問である。
俺はだんだん腹が立ってきた。ついさっきまではあんなにも快適で悠々とした気分で眠っていたのに、まさに天国から地獄、トランプの大富豪で言えば大富豪から大貧民に真っ逆さまである。許せない、こんな事があっていいはずがない。
アジアでは日常的にある光景だが
俺はこの時怒りに震え我を忘れていた。。
結論から言うと甘牧到着後、車の中にタブレットを置いてきてしまった事が発覚!
密かに今回の旅のテーマにしていた、どんな時でも常に冷静であれ、というスローガンをいとも容易くぶち壊してしまった。
これにはかなり凹んだ。この日の夜は悔しさのあまり一睡もできずこの旅はじめてのホームシックにもかかってしまった。
メンタルのもろさが露呈した。いや、もろいからこそ、そこを自覚してはじめから絶対に失敗しないように心がけてきたのではないか!?
トホホ、俺の Lenovo Yoga Tablet ちゃん、帰ってきておくれ。。
ここまでは完璧だったために、このワンミスが悔しくて仕方なかった。翌朝やれるだけの事はやってみようと思い、最初に乗った車の運ちゃんに連絡をつけてみたり、車を降りた場所で聞き込みしてみたりしたが、中国ではモノを失くしたりすればまず返ってこないとの事。
結局、高い授業料を払ったと無理やり自分を納得させるしかなかった。
余談であるが俺は大学には行っていないが今回のような事で授業料を払った経験が多く、普通に大学に行ったくらいは払っていると思う。
だから俺はこれを1人大学と呼んでいた。
勿論生徒は俺1人の為、主席でありビリでもあった。
多くの同年代の人たちがコミュニケーション能力を高めるために積極的に大勢の他者と接触していく中、オリジナリティを育むためにはそれとは全く逆の行動をとらなければならないと俺は本気で信じていた。
1人大学在籍中には東南アジアやインドに留学に行ったりした。
この経験が今日にもわたって自分を支える屋台骨になっている。
これは本当にいい経験だったと思う。
だから今回の件は1人大学の奨学金の返済が残っていたという事にして
無理やり一件落着にした。
話を戻そう、ここは成都から800km以上離れた甘牧である。
タブレット紛失以来モチベーションが上がらず、最近はだんだんと外を出歩くのが億劫になってきた。
近くの茶店でお茶をし、少し先の温泉に浸かり、宿の娘と会話にならない会話をしていると、あっという間に1日が過ぎてゆく。
帰国の日が確実に迫ってきた。
もうじき旅が終わろうとしている。
理塘へ
康定を出発して6時間で理塘に到着!!
そして事件発生‼
もう6時間とか短く感じてきたよ。あれっもう着いたのって。
道中4500m級の峠を何本か越えた。
ヤクがそこら中に放牧されている。草原の中にたまーに遊牧民のテントが出現する。
実は康定で泊まった宿の部屋が満室でテントしかないと言われ1泊してみたのだが、
中に入った瞬間あったかい。暖房がついているのではないかと疑うほどだ。
むしろ部屋よりも心地よかったので喜んで宿泊する。
こういう先人の知恵、尊敬しかないっす。
バスを下車後、ポタラインという宿を探すためにバスの中で知り合ったイスラエリーの
エイアーと共に歩き出す。
宿に無事に到着するとエイアーが近くの丘の上に立つお寺に行こうと言うので行ってみることに。
天気は最高。ここ数日間はずーっと曇りだったらしい。
俺は理塘に歓迎されているな、と本気で思った。
標高4000mのせいかやたらと息が切れるが30分程歩くと
ようやくお寺が見えてきた。
すれ違う人たちは愛想よく挨拶してくれる。
壁画がキレイでした。
お坊さんがお堂の中でお経を唱えたりしていました。(撮影NG)
陽も傾いてきたので、そろそろ帰ろうということでホテルへ。
しかし息切れが半端ない。おまけに頭痛までしてきやがった。。
ホテルに着くとそのままベッドで横になる。
寒気までしてきた。全身の関節がひどく痛む。
昔40℃の熱で寝込んだ時がフラッシュバックしてきた。
しかも、やたらと小便が近く1時間に1回はトイレで目を覚ましてしまう。
その度に、寒くて暗い廊下を重い身体を引きずるようにして往復しなければならなかった。
俺は理塘に歓迎などされていなかった。これは洗礼である。
あまりのしんどさの中、朦朧とした意識の中で何度も何度も夢を見た。
25歳の時にはじめて出来た彼女が登場し『タシデレ~』と何故かチベット語で挨拶してきた。
俺は急に恥ずかしくなり英語で I have to go と告げ、逃げるようにその場を去った。
現実から夢から欲望から失望から、現在未来過去からとにかく俺は逃げまくった。
随分と長い時間だった気がするが、あっという間だった気もする。
森の中をさまようような感じで
逃げて逃げて逃げて、目が覚めると朝になっていた。
そして俺はチベットにいる。
同室のエイアーが調子はどうだと尋ねた。俺はだいぶ良くなったと答えた。
彼も昨日、高山病に苦しんだらしいが薬を飲んだら一瞬で治ったらしい。
どこにその薬があるかと尋ねると、近くにいい感じのゲストハウスを見つけて
そこで飲めるらしい。今夜はそっちに移動しないか?との事だったので
快諾する。
長い夜がようやく明けた。
ベッドから起き上がるとグラッと脳が揺れた気がした。
~つづく~
東チベットの入り口 康定
タシデレ~!(チベット語でこんにちは)
いよいよ東チベット編突入ですぜ!
まずは成都から12時間程かけて康定へ到着。渋滞がひどかった。。
普通に行ければ7時間程らしい。
とりあえずバス停近くの青年旅舎にチェックイン。が、、、しかし
中国人の団体と鉢合わせ。勿論夜中まで大はしゃぎ。
俺、眠れない。。
ベトナムが恋しくなる。
大理で出会った日本食のお店やってる山さんが言っていた。
中国で口論になった時、どちらが勝つのか?
論が正しい方か、味方を多くつけた方か
いや違う。
ただ単に声がデカい方に軍配があがるらしい。
なるほど!確かにそんな場面に何度か出くわしたな。中国人とにかく声デカいっす。。
ある時、康定の町中を歩いているとおばさん2人が口論をしていた。
おや、どっちが声デカいかな?なんて遠巻きに見物していたら何と殴り合いのケンカに発展したではないか!
しまいにはタックルで倒した相手に馬乗りになりパンチの雨あられ。
想像を遥かに超えられた瞬間でしたよ。
だって2人ともいい歳したおばちゃんだよ。
まあそんなこんなで、この地方で豊富に採れる松茸なんかに舌鼓を打ちながら
康定ではゆ~っくりと過ごしましたよ。
体調は万全!さあいよいよ未知の領域4000mオーバーへ出撃だぃ!
ハノイから一挙に北上
ハノイに別れを告げラオカイ、河口、昆明、成都と来た道を一挙に引き返し
現在東チベットにおります。
ハノイよかったな~。ベトナムは飯もうまいし、ライブしても盛り上がるし最高でした。また行きたい!
そしてサパで一緒だったイタリア人ジョバンニ&ラファエルと合流。
写真真ん中のオーストラリア人ルークはギターも唄も達者で一緒にライブバーに流しに行ったりもした。
言葉は違っても気持ちは関係なく波動となって伝わる。
音楽の素晴らしさを再認識した瞬間でもあった。
多国籍軍団、夜の街を徘徊する。笑
さぁさ、楽しかった時もあっという間。ルークはオーストラリアに帰り、イタリアン達はラオスへ向かっていった。
俺もそろそろ行こうかや。
中越国境。この橋を渡ると中国。
カオバン⇒ハノイ
おはよー!
寝台バスでカオバンから首都ハノイまでやってきました。
明日の夜には中国入りして、電車を乗り継ぎ一気に四川省成都まで戻ります。
その先はいよいよ旅のクライマックス、東チベットへ。。
今回の旅行ディング場所はコチラ↑
ベトナム、中国の国境沿いにあるバンジョックの滝近くにある山寺で撮影させていただきました。
奇怪な岩山が数多く見受けられ、ベトナムを独立へ導いたホーチミンさんはこの近くの洞窟で5年間暮らし、独立への計画を練ったとか。。
カオバンで今回お世話になったのは、『PrimRose Guesthouse』さんです。
スタッフ皆、日本語はもちろん英語もほとんど通じませんでしたが、今の時代は便利ですねえ。。
スマホの同時通訳機能でほぼ事なきを得ましたよ。
世界はもの凄いスピードで回っているだな~
ホント面白い時代に生まれてきて良かった!!!
サパ⇒ハジャン⇒カオバン
どうも、おじゅんです。
いよいよベトナム、サパにも別れを告げる時がやってきました。
最終目的地である東チベットに時間が間に合わなくなっては元も子もないので、そろそろ移動します。
今回サパで泊まった『ZiZi Home stay』ここが良かった!
毎晩宴が行われ、ライウ゛が開催された。
俺は日本語の曲しか知らないので日本語の曲を唄っていたら
若いイタリア人のラファエルやジョバンニがやたら気に入ってくれた。
昔、前世占いしたら俺は「病弱なイタリア人」と言われたので、
もしかするとイタリアにご縁があるのかもしれん。笑
それはさておき、ZiZiHomestayにはベトナム人は勿論、アメリカ、カナダ、メキシコ、イギリス、フランス、ポーランド、オーストラリア、スイス、韓国、日本、そして人間以外にも犬、猫、牛、豚、鶏と多様性に富みまくっていて本当に飽きなかった。
『流れ雲』 作詞作曲 原田淳平
旅に出たのはちょっと前の事
セントレアから飛び乗った飛行機
海を渡って山を越えて
ベトナムのサパを目指す
世界中の旅人たちは
ジョイント巻いてプカプカエヴリナイ
言葉なんて通じなくても同じヴァイブス感じてた
白い雲よ お前一体どこから流れ着いたの
出来ればおいらも一緒に遠くまで連れてっておくれ
遥か遠い未来に想いを馳せているのさ
君と着のみ着のまま気の向くままに流されて行きたい
白い雲よ
まどろむ姿窓に映して 待ち焦がれた町にたどり着き
月明かりのスポットライトを浴びた少年は唄うよ
チキチキバイバイバイ未来も過去も
ないと思えばあるのは今だけ
サヨナラなんて言わなくてもいつかきっとまた逢えるから